2003年 夏: 対立争い

2003年ラシン・サンタンデールの夏のキャンプが始まった。
その前に、この時期のラシンというチーム事情が複雑だったので説明させて頂きます。
ラシン・サンタンデールというチームは二人の権力者により会長の座を争われていた。
スペインでサッカークラブの会長に就任するには、バルサやレアルマドリーのように選挙に立候補してファンによる選挙制度と、クラブの株を51%以上買い取り資金力で会長に就任する2つのパターンがあります。
ラシンは選挙制度を取っていないため、会長席を争い、バックボーンを石油にもつウクライナ系アメリカ人「ピーテルマン」対サンタンデール市の大企業家の「サンティアゴ・ディアス」との対決となった。
ピーテルマンは一度、クラブの株51%を獲得し、思いのままに人事発令を下し、選手・スタッフ・役員を総入れ替えした。私を引っ張ってくれたGMのラモンはその時にピーテルマン氏からオファー受けた人物である。
となると私も一応ピーテルマン側のスタッフであった。
サンタンデール市民はピーテルマンにクラブを乗っ取られるのを恐れ、大半は地元有力者のサンティアゴ氏を支援し、地元銀行もサンティアゴ氏を支援した影響で、再びサンティアゴ氏が51%の株を買い戻すことに成功。
その後再度ピーテルマンの反撃も届かず、最終的には持ち株25%に留まり、クラブの位置づけとしては役員に留まり事実上失脚を余儀なくされる。(その後、ピーテルマン氏はラシンを離れアラベスというスペインの2部チームの買収に成功する。)
こんなに騒がれたタイミングで私はラシンに入ったのである。もちろんある程度の事情は地元新聞でも知っていたが実際に現地でクラブの中に入るとなると話がとてもデリケートである。
サンティアゴ側の選手、ピーテルマン側の選手、スタッフといろんな人が混在している。そんな微妙な空気を全員が感じながらキャンプが始まったのである。
つづく























