2001年 冬 : 給料滞納

2部Bリーグのオスピはプロチームとは言えども資金繰りに大変であった。
当時オスピのチームドクターは、中村俊輔選手が所属するエスパニョールのチームドクターがオスピも兼任していて週に一度、クラブハウスに来て診察をしてくれていた。 エスパニョールで使わなくなった備品やテーピングなどをこっそり持ってきてもらってなんとか練習や試合を乗り越えていた。
当然、備品もそれだけでは足りないのでクラブにお願いしたものの、会長からは月に2万ペセタ(1万7千円)くらいがメディカル予算でそれ以上はでないという。そこからテーピングや薬品などすべて捻出しなくてはいけなかった。
練習ではテーピングから弾性包帯に切り替えたり、すね毛などを剃ってテーピングの使う量を減らし、固定力を上げたりと日々、試行錯誤していた。
ちなみに日本のJ1クラスですとクラブによってまちまちですが500万~800万。それ以上のクラブもあると聞きます。そんな貧乏クラブのオスピは当然、給料滞納も日常茶飯事。 月に50万円でも貰っていれば蓄えもあるものの、こちらは家賃7万支払ったらその月の給料が吹っ飛ぶくらいなので、食費を削ったり、妻がカバ(スペインのシャンパン)工場でパートをして生計を立ててくれた。
その当時、先日現役を引退した、セレッソ大阪の西沢選手がエスパニョールにレンタル移籍をしていて、バルセロナはマスコミ関係者が多く、日本人も集まっていた。
そんな中、ある知人が「新聞の通信員やってみない?」という。もちろんお断り。そんな仕事するためにわざわざ日本の仕事を捨てて遙々バルセロナに来たわけじゃない!と思っていたが、1日考えて自分にそんな選択肢がないことに気づき、翌日には「ぜひやります」と答えた。
通信員の仕事はスペインのスポーツ紙4つを見て、記事になりそうなネタを日本語に訳し、日本の記者へ報告し、エスパニョールの練習にも毎日顔を出し、情報をコツコツ日本へ送っていた。
3か月の短期の仕事でしたが100万円くらいになり、当時でオスピの給料と合わせれば妻と二人で贅沢をしなければ1年くらいは十分生活できるお金を稼ぐことができた。
また、毎日新聞を訳すことでスペイン語の勉強にもなり、マスコミ関係者にも人脈ができてスキルとネットワークにつながり、いいことづくしで、今現在も親しくさせて頂いている人も多い。
そこから「とりあえずやってみる」ということを覚え、基本的に「NO」とは言わずにまずは何でもチャレンジをすることにした。ちなみに給料滞納した分はちゃんと会長に払ってもらいました。つづく。
山田 晃広























